”あばの家構想”が動き始めました。

私の最終ゴールと位置づけしている者です。

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皆様に紹介してみます。

「あばの家構想」が始まりました。 表札は「あばの家」です。

場所:会津美里町大字八木沢字吉原3966-1

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ゆっくりゆっくり始まります。

 

 

「あばの家」をつくる意味

  高齢化社会の今日、一人暮らしや夫婦二人だけの暮らしをしている方々がたくさんいらっしゃいます。そんな中で、体調を崩して、一人では暮らせなくなり、入院をしたり、介護施設に入居したりという選択を余儀なくされている方々も少なくありません。ご本人はこれで満足しているのかというと、そうとは言えない状況もあるようです。赤の他人の中で、24時間神経を使わなくてはならない生活は、やはり想像以上に辛いものだということなのでしょう。

  人間、齢を重ねて体が弱くなると、昔の生活を思い出して寂しくなるのは当然です。

そんな時、今まで使っていた食器、タンスや鏡台などの家具、そして何より思い出のある部屋は、一番心が落ち着くものです。できるなら、今まで暮らしてきた家に住み続けたい。

そのために、高齢者向きの家に改築したい。でも、「年金暮らしだから、お金が不足して、経済的に無理。」という話をよく聞きます。健康的な時は、深刻にとらえなかったことでも、体調を崩したり、弱気になると、何もかも不安(マイナス思考)になるのは、誰でも同じではないでしょうか。その一方、今、現在は健康で、何不自由なく暮しているのだけれど、「いつかは俺も入院か、一人暮らしか。」と将来を心配するあまり、大きなストレスを抱え込んでいる方がいらっしゃるのも事実です。

 今、私は、幼かったときの金山地方での暮らしぶりを思い出しています。早朝の風景として強く残っているのは、田畑で仕事をしている人々の姿です。畑では、草むしりや野菜を収穫している人がいる。田んぼでは、あぜ道の草刈りをしている人、育った稲の中に入り、背の高くなった雑草を引き抜いている人たちが大勢見える。そして、うさぎやヤギにあげるクローバーや雑草を抱えて走っている子どもたちの姿も…。家の周りには、背を丸くして草むしりしているおばあちゃん、鉢巻きして薪を割っているおじいちゃん。泣き出した赤ん坊をおんぶして畑に向かって走っていくお姉ちゃん。(きっと、赤ちゃんはお腹すかせてお乳をほしがっているんだよ。早くお母さんの  ところに行ってあげな!)仕事をしながら、みんなが見守っていました。朝のちょっとした場面です。そして、「○○あねい(姉)いっかよ?」と言いながら、お互いが気軽に近所の家を行ったり来たりもしていました。お茶を飲みながら、「隣の猫が死んだ。」などとたわいもないことから、わが家の自慢話、時には嫁の悪口(?)など、楽しい、辛いといった特別な話題でなくても、日常的なささいな会話をみんなが楽しんでいたように思います。そして、だれもが、地域の中で他と関わり合いながら、自分の役割を当り前のように平然とこなしている姿がそこにはありました。そんな平凡な毎日の中、自然体で一日を過ごす。これが本来の至福の生活なのかもしれません。

 生まれてから最後を閉じる時まで人は一人では生きられないし、仲間と触れ合わなければ生きていけないということはだれしもがわかってることです。しかし、高齢になったとき、否応なしに一人暮らしや介護施設で共同生活をしなければならないという現実に向き合わされた時がきます。

 「あばの家」では、赤ちゃんから高齢者までの姿がいつも一緒に目に入ってくるような風景が見える。そんな自然な暮らし方を考えています。「あった会」は、自分の啓発のために勉強をしてきましたが、これまでやってきた中で、「あばの家」構想(絵)の風景を描けるのではないかとメンバー同士で話し合っています。まずは、メンバーの仲間から、「おはようございます。今日もここを造りますよ。」と軽やかに楽しそうに働く。その延長に「あばの家」の風景があり、大勢の方々と幸せを共有できていくのだと私は確信しています。

 

「あばの家」と命名した私の想い

 

叔母の養子として育ててもらった私は、やっと言葉を話すようになったころ、母を「あばと呼んでいました。青森県や秋田県出身の人が多い環境だったので、もしかするとそちらの方言を真似たのかもしれません。少し大きくなってから、なぜ「あば」なのか、よく周りの大人たちから尋ねられたものですが、自分自身でもわからずじまいです。でも、「あば」と母を呼ぶと、いつもにこにこした笑顔が返ってきたことだけは今でもはっきりと覚えています。「あば」は私にとって至福感なのです。

「あばの家」は、幸せあふれる家づくりを目指す私のゴール地点です。